シングルマザーの方、将来のことは安心できていますか?
私は何の肩書もないただの人で、しかもシングルマザー。
勿論、収入にも自信がなく将来が不安でした。
少しでも収入を増やしておきたいと、自分らしさを失わずにやれることを探して今のビジネスを選びました。
もしあなたが、一攫千金を狙うビジネス手法を望んでいるなら、このブログにその答えはありません。
私は、このビジネスを「人が人らしく生きるため」のものだと思います。
まだまだ成功している私ではありませんが、成功を目指している一人として、私の考えを一度は読んでいただきたいと思った次第です。
【1】自分という人間その1(とりあえず、自己紹介です)
日中はパート社員(食品の商品開発)、家では在宅ワーカー、たまにファゴット奏者です(笑)
今の在宅ワークとともに日々のアンチエイジング、健康づくりは欠かせません!
また、私の年齢は47歳で、34歳の時からシングルマザーです。現在16歳の娘が一人います。
最初は娘が小さかったこともあり、会社の仕事だけで精一杯の日々でした。
娘が大きくなるにつれ手はかからなくなってきましたが、より多くのお金が必要になってきて、低収入のままではいけないと思い在宅ワークも始めました。
目標は、在宅ワークにも自分にも役に立つ資格を取って、主婦になって今の生活から抜け出して、大好きな楽器を吹きながら在宅ワークで生きていくことです。(すごく欲張りな目標ですが)
ファゴットは大学1年のときからオーケストラで始めたのをきっかけに、今でも趣味で吹いています。
楽器を吹く時間はかなり減りましたが、一度もやめようと思ったことはありません。
ファゴットの音は私にとってとても魅力的です。
どんなに嫌なことがあっても、好きな楽器を吹くと心がリセットされるんです。
ずっと続けられる趣味だと思います。
思えば独身貴族20代の時、オーケストラや吹奏楽団に掛け持ちで所属していて、目一杯好きなことが出来たので悔いはないです。
今は、そんなに不死身な音楽活動はできません(笑)。
今の音楽活動はごくたまにあるオーケストラ(昔、所属していた団体です)のエキストラ出演ですが、コロナが流行し始めてなくなりました。
ソロや少人数のアンサンブルにも興味があり、数年前の会社のイベントでフルートさんとのデュオコンサートをやりました。
いつの日かソロ演奏もやってみたいです。
といっても素人なので、何かの余興やイベントで1~2曲だけで。
少人数での演奏は、クラシックは高度すぎるので、ポピュラー系(演歌系も好きです)の堅苦しくなく、お客さんにも親しみやすい曲がいいですね。
いきものがかりの「Yell」、松任谷由実の「春よ、来い」、スタジオ・ジブリはどれも好きですが「人生のメリーゴーランド」がお気に入りかもです。他に、「残酷な天使のテーゼ」、ジャズアレンジの「星に願いを」などもいつか演奏できたらいいなと思っています。
ファゴットの必需品&消耗品のリードは、JDR Oタイプがお気に入りです。
話が逸れましたが、人生負け組で終わりたくないという信念だけが取柄ですが、口コミ営業が大の苦手です。
そんな私がインターネットで在宅ワークをしています。(まだまだ修行中の身ですが)
アップの先輩方のお陰で、諦めずにここまで続けてこられました。
その在宅ワークの一つの手段として、ブログも書いています。
正直、文明の利器に弱い私がブログを書くことになるとは思いませんでした。
ビジネスのこと以外にふとした息抜き記事も書いていますので、読んでいただける皆さんに少しでも親近感を持って頂けたらと思います。
ブログのタイトルは、「シングルママでも負けない!ゆずしらぽんのブログ」です(笑)。
本業の仕事柄、ぽん酢は大好きです。
「ゆず」はあの香り高い柚子のことです。
食べ物や飲み物を一瞬にして変身させる、魔法のみかんと言っても過言ではないと思います。
「しら」は不知火(しらぬひ)という甘いみかん(清見とポンカンの掛け合わせだそうです)のことで、熊本が全国一位の生産量を誇ります。
酸味や苦みの強いみかんが苦手な人向けかもです。
不知火町は、ロマンの火が出現する土地と言われます。
ロマンの火というのは「不知火」のことで、旧暦8月1日前後の限られた時間にだけ現れる蜃気楼の一種です。
熊本にいる人は、全員見たことがあるわけではないです。
私も実は見たことがないです…。(生きている間に一度は見たいものです。とても神秘的だそうです。)
今はその町に通勤することになり、とても大好きな町になりました。
宮崎で結婚したときは、実家のある熊本にはもう戻らないつもりだったのに、シングルマザーになって熊本に帰ってきて現在に至ります。
戻らないつもりで出て行った町に戻ってくる、出会わないはずの人に出会う、一家の稼ぎ頭となって働く…etc、考えるときりがないですが、それでも生きていかないといけないんだなあと、つくづく思います。
でも生きていくなら、楽しんだほうがましです!!
私は何をするにしてもお金が必要と思います。
世の中お金なんです。
あと、独身だから恋愛も一杯できます。
チャンスがあれば結婚もします!!
そんな色んな夢を持つ自分の書いた文章を、少しでも多くのシングルマザーの方に読んで頂けたら、そして少しでもお力になれたら嬉しく思います。
【2】自分という人間その2(口コミ営業に向いてない&話が苦手でもそれなりにやってきました)
私は上手く話すのが苦手で、極力人前で話をするのを避けて生きてきました。
でも、そんな自分でも挑戦したくて、大学4年の時に農業高校に教育実習に行き、高校(理科と農業)のⅠ種教員免許を取得しました。
実習はたったの2週間だったのですが、学校の先生の大変さが身に染みて分かりました。
2週間で分かったのですが、授業は事前に準備をすればなんとかなります。
問題は、授業以外のトークです。
これが私には何を話せばいいかわからず限界を感じたので、教員は諦めて宮崎の民間企業(研究系技術職)に就職しました。
そのまま宮崎で結婚して、一応、寿退社をした私は、娘を生んだ後に孤独&育児ノイローゼに悩まされ、このままではいけないと思い、パートで宮崎大学の研究員の仕事を始めました。
私が32歳、娘が2歳の時でした。
その大学の職場で、小学校時代のクラスメイトのYくんと再会しました。
Yくんとは、クラスは違いましたが中学も同じだったので、16~17年ぶりの再会だったでしょうか。
熊本の同級生と宮崎で同じ職場になるなんて、世の中狭いと思ったことでした。
Yくんとは意気投合し(決して恋愛対象などではなく)、小学校のクラス会(5~6年で同じクラスだった人対象)の発起人になりました。
昔の卒業アルバムには個人の連絡先が記載されており(住所と電話番号)、私はその連絡先を頼りに一人一人に「クラス会をやりますので今の連絡先を教えてください」と手書きのハガキを出しました。
恐らく実家の住所が変わってない人にだけ届いたと思います。
そうしたマメなことをやってクラスメイトの情報を集め、Yくんと再会した翌年のお正月にクラス会を実施することになり、Yくんと私で幹事をやりました。
5年と6年の時の担任の先生も呼んで、楽しい集まりでした。
その後、数年に一度のお盆かお正月に集まることになり、幹事も持ち回りでやることにしています。
ついでに、「ONE PIECE」の漫画家Oくんもクラスメイトなのですが、彼が漫画家になったことは、32歳の時にYくんと再会するまで知りませんでした。
そのOくんも8年ほど前(39歳の時)のクラス会に来てくれました。
Oくんと再会したのは、小学校卒業以来だったので27~8年ぶりぐらい?でした。
そのあたりから、クラスメイトのLINEグループでたまに会話をしています。
Oくんの成功は、クラスメイトの希望であり、熊本の希望です。
私もOくんの存在は、励みになっています。
私が会社で開発した商品をいつの間にか一消費者として買ってくれて、美味しかったよとLINEでメッセージを送ってくれました。
Oくんとは町内も違ったし、小学校時代の特別な思い出はないのですが(存在はもちろん覚えています)、LINEで会話するようになって初めて友達になった感じがします。
インターネットの力とは不思議なものですね。
クラス会の発起人になったことが、今でも仲間との繋がりに貢献できているなら、やはりやってよかったと心から思います。
もちろん話もしますが、手紙やメールを使ってコミュニケーションをとることの方が自分には向いているのかもです。
インターネットという素晴らしい手段のお陰で、PCやスマホでできるネットビジネスに興味を持つようになりました。
ネットビジネスと一言でいいましたが、すぐにいいと思えるビジネスに出会った訳ではありません。
やっているうちに集客が難しいということに気が付き始めて、やはり再現性のあるものがいいと思って今のビジネスにたどり着きました。
ビジネスに関係する法律にも詳しいプロの先生に集客スキルを学ぶことができるお陰で、安心して取り組むことが出来ています。
今まで勉強もしないでビジネスをやっていた自分がとても恥ずかしかったです(-_-;)
器用ではない自分ですが、このビジネスで成長していこうと思います。
ゆずしらぽん:1974年生まれ、O型、熊本市在住、高1の娘の母